2019年12月13日金曜日

大学最後の日、クリスマスパーティー

今年最後、仕事納めの日に大学で少し早いクリスマス・パーティーがありました。職員の慰労を兼ねているのですが、会費制(M100)です。定番のブライ(Braii)パーティです。要はバーベキューですが、日本と違って、肉とソーセージだけで野菜などの付け合せはありません。アルコール類は各自持参でした。30人程の参加者は歌ったり踊ったりと楽しんでいました。
そして、明日からは大学は3週間のクリスマス休暇に入ります。多くの職員は故郷に帰って家族と過ごすようです。
私はもちろん一人暮らしなので、どこへも行きません。予定もありません。本を読んだり、インターネットで映画を見たり、写真の整理をしたり・・と言ったところでしょうか。休暇が終わる直前にレソトを離れて南アフリカへ行くので、ほとんどの職員と顔を合わせるのはこれで最後です。



2019年12月5日木曜日

ファイナル・プレゼンテーション

ファイナル・プレゼンテーションを実施しました。大学の幹部職員に私の2年間の活動を報告したのです。

当初の要請はe-Learningシステムの構築と指導でしたが、大学のコンピュータシステムを見るうちに、早急に改善が必要な事が明らかになりました。それでその改善のために仮想化とよばれる技術を取り入れる事にしました。そのために必要な機材(サーバー)は幸いにもアフリカ開発銀行とJICAに買ってもらうことができました。自分で言うのもなんですが、大学のコンピュータシステムを刷新することができたと自負しています。大学の学長からも大学の職員として働く気はないかと打診されました。JICAのボランティアだと大学の人件費負担はゼロですが、原則2年しか働けません。給与を払っても良いからもっといて欲しいと言うのです。家庭の事情でそれはできないので、丁重にお断りしましたが、それだけ私の活動を評価してもらえたのだと思うと、嬉しかったです。

とにかくこれで私のレソト教育大学での活動は実質終わりました。帰国まで一ヶ月ありますが、大学もすぐに夏休みに入ります。特に予定はないのですが、ゆっくりと残りのレソトでの生活を楽しみたいと思います。


2019年11月17日日曜日

人の調理場?

Motlejoa caveに行ってきました。caveといっても岩の裂け目のようなもので、中に入ることはできません。レソト人はその昔食人の習慣があったそうで、ここで人間を切ったり、焼いたりしたそうです。言わばキッチンですね。町の中心からは近いのですが、険しい山の中腹にあって、なぜこんなところで人間を調理したのか理由は分かりません。さすがにオープンな場所ははばかられたのかもしれません。あるいは宗教的な理由で秘密の場所で行う必要があったのか?
車を停めてから1キロ程でしたが、トレイルのようなものはなく、かなりタフでした。

 実はこの町、任地のマセルから車で二時間ほどなんですが、よく知っているレソト教育大学の学生の故郷です。案内したいから一度来てくれと招待されていたのですが、なんのかんので帰国直前のこの時期になったのです。それで同僚を誘って行ってきたのです。中腹からの景色は素晴らしく、これぞレソト!という感じでした。着いたのが少し遅かったので他にあまり沢山の場所は見られなかったですが、それでも楽しい時間を過ごせました。






2019年11月1日金曜日

タバテカ(Thaba-Theka)でのe-Learningの講習

月曜日からレソトのほぼ中心、タバテカ(Thaba-Theka)という町に滞在中です。ここにあるレソト教育大学のキャンパスでe-Learningの講習をするためです。スキルトランスファーの一環で、前回から現地の技術者が教えていて、私は補助だけです。彼自身前回に比べると格段の進歩です。なんとかなるでしょう。

全部で16人の参加者でしたが、ディレクター(キャンパスの責任者)も忙しい中、頻繁に顔を見せてくれて、盛況でした。火曜日から始まった講習は今日で終わり、明日の午後にはマセルに帰ります。

この小さな町はタバテカ県の県都なのですが、標高2200mくらい、美しい山並みに囲まれた、本当に小さな町です。本校から出張の職員は学校のゲストハウスに泊まるのですが、6つの簡素なベッドルームと共用のキッチン、バスルームがあるだけです。断水が多いので、シャワーもできない日もあります。正直言って、ここへの出張は少し気が重いです。それでも今回で最後と思うと懐かしくもあります。








2019年10月21日月曜日

Mokhotlong(モコトロン)に行ってきました

レソト東部にあるMokhotlong(モコトロン)という町に行ってきました。マセルから約300キロ。あたりは標高3000メートル以上の山岳地帯です。美しい景色があるとその度に車を止めて、しばらく楽しみ、また車を走らせて、また止めるという感じです。普通なら6時間程度で着くところを8時間近くかかりました。Mokhotlong自体は特に観光地ではありません。地図を見ていて、Maseru(マセル)から一番遠い町がMokhotlongだったのです。1月には二年の任期を終えて帰国するので、これが最後のレソトの国内旅行になるかもしれません。Mokhotlongでは一泊して、同じ道を帰りました。

 

 

2019年10月6日日曜日

ピザ作りに挑戦

ケープタウン旅行で大変お世話になった友人宅でご馳走になった手作りピザがえらく美味しかったので、見よう見まねで挑戦してみた。初めてということもあり、ピザ生地は冷凍のを買ってきた。ただしチーズは現在レソト滞在中のフランス人の友人がわざわざ持ってきてくれた本場物。最大の難点はオーブンがないのでフライパンで焼くと言う離れ業を使った事。と言う事でスーパーデリシャスとまではいかなかったが、自分で作って自分で食べるんだから楽しめれば良い。日本へ帰ったら本格的に挑戦してみよう。今日は久しぶりに昼からビール。

2019年9月29日日曜日

ケープタウン旅行(8日目)

8日目(9月29日) 移動
最終日は移動のみ。来たときと違って、ヨハネスブルグからの同僚とブルームフォンテーンで待ち合わせた。彼がマセルからの送迎サービスを頼んだので同乗させてもらったのだ。料金はR800と一人なら高いが二人なら、タクシーとコンピを乗り継いでもほぼ同額。空港から自宅まで送ってくれるので随分と楽だ。
さて、ケープタウン旅行も終わった。本当にすばらしい旅行だった。レソト滞在中の(ケープタウンはもちろん南アフリカだが)良い思い出になった。


2019年9月28日土曜日

ケープタウン旅行(7日目)

7日目(9月28日)
ガーデンルートを離れてケープタウンまで。400キロのロングドライブだ。昼食は途中で立ち寄った小さな町のカフェで取った。店のオーナーらしき人が、日本人と見当をつけて、ラグビーワールドカップで日本がアイルランドに勝ったと教えてくれた。
ケープタウンには早めに着いたので、近くのタイガーバーグ自然保護区を散歩した。あいにくの曇りだったが、遠くに市の中心地が見えた。途中でカメに遭遇。このトレイルはカメトレイルという名前らしい。納得。

 

 

2019年9月27日金曜日

ケープタウン旅行(6日目)

6日目(9月27日)
まずはモッセルベイの海岸沿いのハイキングトレイルへハイキングへ行った。日本だとハイキング=登山のイメージがあるが、決してそんなことはなく、海外にはこのような海岸沿いのハイキングトレイルも沢山ある。全長14キロあるそうだが、そんなには行けないので、4キロ程で引き返した。それでも海岸からの景色は素晴らしく、十分堪能できた。折り返してしばらくすると、なんとクジラがジャンプしたり息をしている光景に出くわした。もちろん生まれて初めてだ。写真を撮ろうとしたのだが、何百メートルか沖合でうまく撮れなかった。しかし、肉眼ではバッチリ見たので、それで満足しよう。
モッセルベイを後にして、最後の目的地であるオーツホーンへ。到着後にすぐカンゴー洞窟へ。大きな鍾乳洞で、ガイドツアーで所要時間1時間。その後ゲストハウスへ向かった。






2019年9月26日木曜日

ケープタウン旅行(5日目)

5日目(9月26日)
ケープタウンを離れてガーデンルートへ。まずはハマナスという町。クジラ観察で有名だそうで、運が良ければ陸上からでも見えることがあるそうだ。海岸沿いの遊歩道からしばらく目を凝らして見たが、発見できず。それからモッセルベイへ。ここからはしばらく内陸部のドライブだったが、穀倉地帯で良く手入れされた麦畑が延々と続いた。これはこれで海岸沿いと違った趣があった。荒れ地の多いリンポポ州はムプラマンガ州とは明らかに違う。
モッセルベイには夕方に着いた。ガーデンルートの起点近くで、有名な観光地だ。久しぶりのシーフードを楽しんだ。




2019年9月25日水曜日

ケープタウン旅行(4日目)

4日目(9月25日)
3日目はハイキング。ケープタウンから約1時間のところにあるヨンカーズフーク自然保護区です。さまざまなハイキングトレイルがありますが、片道2時間ほどにあるピークを目指しました。これも絶景でした。ケープタウンのような大きな町からわずか1時間で、このような素晴らしい眺望があるなんて、ケープタウン恐るべし。このあたりはまたワインの産地の集積地であるワイランドに隣接しています。帰りはワイナリーにあるレストランで昼食、ワインのテイスティングをしました。気に入ったワインがあったので購入しました。
その後、ケープタウンについで二番目に古い町、ステレンボッシュを散策して帰路につきました。




2019年9月24日火曜日

ケープタウン旅行(3日目)

3日目(9月24日)
今日はケープ半島、まずは先端にあるケープポイントと喜望峰を目指しました。ケープポイントからの眺望は素晴らしかったです。有名な喜望峰はケープポイントの近くから突き出た小さな岬です。これがアフリカ最南端と勘違いしている人が多いですが、最南端は200キロほど南東にあるアガラス岬です。帰りはケープ半島の反対側からでしたが、途中の海岸線や湾の美しいこと。う〜ん、素晴らしい!




2019年9月23日月曜日

ケープタウン旅行(2日目)

2日目(9月23日)
るテーブルマウンテンへ登りました。ケーブルカーではなく徒歩(ハイキングトレイル)です。ケープタウン市内のどこかれでも見えるシンボルですが、標高は1090メートルとなかなかの高さです。しかもかなりの急勾配なので、なかなかタフなコースでした。
片道2時間ほど。頂上からの景色は絶景でした。すばらしかったです。頂上で軽食を食べてから、同じコースを降りました。
それからウォーターフロントというショッピングエリアで昼食。しばらく散策してから帰りました。2日目からは友人宅から徒歩10分ほどのゲストハウスに滞在しました。


2019年9月22日日曜日

ケープタウン旅行(1日目)

一週間かけてお隣、南アフリカのケープタウンとその周辺を旅行してきました。
1日目(9月22日) 移動
8時前に自宅を出てタクシーで国境まで行きました。レソトと南アフリカの国境は川です。川の手前にあるレソトの検問所で出国手続きをして、徒歩で国境の橋(マセルブリッジ)を渡り、南アフリカの検問所で入国手続きをします。
その後でミニバス(コンビタクシー)に乗って南アフリカのフリーステート州の州都、ブルームフォンテーンに向かいました。ブルームフォンテーン駅でタクシーに乗り換え、町の中心にあるショッピングモールで昼食を食べたてから、またタクシーで空港へ。空路でケープタウンまで二時間弱、5時過ぎに到着しました。
ケープタウン空港にはケープタウン在住の友人が迎えに来てくれました。初日はその友人宅に泊まりました。


2019年9月16日月曜日

馬の草レース

友達に誘われて馬の草レースを見に行きました。マセルから車で約1時間。車を降りて徒歩で30分。着いた頃には既にレースは始まっていました。周辺の集落から集まってきたのでしょう、たくさんの馬がレースに参加していました。レソトらしい起伏のある草原の遥か向こうから疾走してくる馬はなかなか迫力がありました。






2019年9月13日金曜日

博士号取得のためのセミナー

レソトでは、他の英連邦諸国と同様に、公的な機関で高い地位につくためには学位、特に博士号が必要です。レソト教育大学でも多くの職員が博士号取得のために勉強しています。大学も職員の能力向上のためにそれを応援しています。この美しい女性は職員の博士号取得をサポートするためにオーストラリアから招かれました。彼女自身も人類学の博士号を持つ才女です。今日のセミナーでは南アフリカのフリーステート大学の博士候補生でもある、物理学の講師がケーススタディを行いました。

 

 




2019年9月10日火曜日

ハタオリドリが帰ってきました

冬が終わり、春が来ました。そして、私の家の裏庭の木にハタオリドリが帰ってきました。いま6個の巣があります。一羽のオスは1シーズンに最大で35個の巣を作ります。でもほとんどの巣は同じオスによって壊されます。メスが気に入った巣だけが残され、交配し、卵を産み、育てます。








2019年8月31日土曜日

キンバリーへのドライブ

今日はキンバリーへ行ってきました。キンバリーは南アフリカの北ケープ州の州都であり、ダイヤモンド鉱山の町としても有名です。市の中心地近くには鉱山博物館があり、中にはビッグホールという、露天掘り鉱山の跡があります。手掘りの穴としては世界最大だそうです。また、多くのレソト人が働いていました。博物館の展示物も興味深かったです。マセルから3時間のドライブでした。良い気分転換になりました。

2019年8月8日木曜日

家の裏で火事(ボヤ)

家のすぐ近くで火事がありました。風がかなり強かったので心配しましたが、草と木だけが燃えて自然鎮火したようです。でも消防車は来ませんでした。そう言えば一度も見たことがありません。レソトって消防車ないの?







2019年7月16日火曜日

仮想環境の構築完了

昨年の後半から進めてきた「仮想環境」の構築作業が終わりました。仮想環境とは1台の物理サーバーの上に多数の仮想サーバーを同時に動作させる技術です。物理サーバーはADB(アフリカ開発銀行)とJICA(国際協力機構)からそれぞれ1台づつ寄付していただきました。それぞれがメインメモリ128ギガバイト以上、6コアのプロセッサが2個という強力なもので、合計で24台以上の仮想サーバーを動作させる事ができます。
2台にしたのは、もし1台が故障した場合にそこで動作していた仮想サーバーを残りの1台で動作させるためです。現在動作しているサーバー、いずれも10年以上前に作られた古いもの、の移行作業も順調に進んできます。この仮想環境を利用してActive Directoryやファイルサーバーと言った新規システムの構築作業も開始されました。
そして、技術移転のために必要な各種ドキュメント、マニュアルや各種手順書、の作成も終わりました。残りの任期半年は現地の技術者が私がいなくなっても運用できるようにするための訓練期間となります。既に基本的な技術や知識はマスターしているため、何とかなるでしょう。半年後は安心して日本に帰れると思います。

※写真の上がJICAから、下がADBから寄付して頂いたサーバー