2007年7月28日土曜日

この表現は政治的に正しいですか?

アメリカにはPCという言葉がある。この場合 Personal Computer のことではなく、Politically Correct の略で、直訳すると「政治的に正しい」ということになる。別に共産主義は関係なく「性別、人種、宗教的な差別を含まない表現」という意味で使われる。

例えば、黒人を指すのに蔑視表現である Negro を使ってはいけない。black はかつてのような差別的な響きはないが好ましいとも言えない。では何がPCかと言えば African American だ。つまり「the term "African American" is PC.」となる。日本の新聞もその影響で「オバマ上院議員はアフリカ系アメリカ人初の大統領候補になるか」などと載せている。また、マスコミなどは性別が定かでないときはわざわざ「He or She was removed from office」などの二重の表現を使う。これも男女を代表させて He を使うのはPCではないとされているためだ。以前は警察官は policeman と言っていたのを police officer、消防士も fireman が fire fighter となってきたのも同様だ。

アメリカには数多くの民族や宗教があるためPCは非常にデリケートで難しい問題だ。同じ表現でも人や時によって感じ方も違う。母親が日系人のある友人は「I am half jap」などと平気で言っていた。日本人に対する蔑視表現だった jap も今では差別的な意味は少なくなってきているのだ。もちろん年配の日系人なら今でも眉をひそめるだろう。

Hillary for Presidentというヒラリー・クリントンの選挙運動のウェブに登録してあるので、毎週ニューズレターが送られてくるのだが、当面の競争相手が相手だけにPCには非常に気をつけているようだ。そういった観点から読んでもなかなか面白い。


2007年7月25日水曜日

通勤電車でDVDを見る

ドア・ツー・ドアで通勤に1時間50分かかる。通勤時間の有効利用については語りつくされた感があるが、周りを見ても本や新聞を読むか音楽を聴くという伝統的スタイルの人がほとんどだ。これは日本だけでなく、MTA(ニューヨークの地下鉄)やBART(サンフランシスコ・ベイエリアの地下鉄)でも同じで、たまにブラックベリーというアメリカで非常に普及しているスマートフォンを使っている人がいるくらいだ。日本では朝から携帯メールに夢中の女子高生がいるがアメリカでは見かけない、と言うよりそもそも高校生が電車で通学するという習慣がない。

僕も基本的には伝統派で、朝はPB(ペーパーバック:アメリカの文庫本)を読むか、iPodでオーディオブックを聴いている。ただ、帰りはDVDで映画を見るのがここのところの日課だ。最近のポータブルDVDプレイヤーは非常に軽量、コンパクトで、バッテリーも映画1本分は余裕で持つ。画質も綺麗だ。

ここ数年にレンタルした映画はほとんど全てDVDにダビングしてある。150枚くらいはあるだろう。iPodなどのシリコンプレイヤーも考えたが、PCでのフォーマット変換や転送が面倒だ。DVDプレイヤーなら気軽に持ち出してそのまま再生できる。僕が買ったのは画面は5インチ、サイズは138(W)×153(H)×31(D)mmでDVDのジャケットより一回り大きいくらい。重量は650gで通勤電車で持ち続けてもほとんど苦にならない。なかなか快適で帰りの電車が楽しみなほどだ。

愛用の東芝製のポータブルDVDプレイヤー
値段はコジマで29,800円。ワンセグも付いているが、もともとテレビをあまり見ないので使ったことがない。電源を切ってもそこから再生できるレジューム機能が便利。

2007年7月19日木曜日

要注意!IT用語の日本式発音

IT用語は言うまでもなくほとんど全て英語から来ている。ただ、日本式の発音だとアメリカ人に通じないことがよくある。

例えばネットワークコマンドの ping は「ピング」ではなく「ピン」と発音する。英語では最後のgは発音しないからだ。香港(Hong Kong)がホングコングではなくホンコンなのも同じ理屈だ。日本では逆にgを強く発音する人が多いが、アメリカ人にはまったく通じない。

LinuxエディタのPicoは「ピコ」ではなく「パイコ」だ。英語ではiは普通「イ」ではなく「アイ」と発音するからだ。これについては10年くらい前に Linux を「リナックス」と呼ぶか「ライナックス」と呼ぶかという大論争があったことを思い出す。僕はそのころサンノゼで開催された「Linux World Conference and Expo」に参加したのだが、その時はリナックス派とライナックス派が半々だった。これは結局<a href="http://www.catb.org/~esr/faqs/linus/english.au" TARGET="_blank">リーナス・トーバルズ自身が「リナックス」と発音した</a>ことで決着したと記憶している。そもそもリーナス(Linus)自体はをライナスと発音するアメリカ人が多い。

さらにネットワーク機器のルーター(router)は「ラウター」となる。最初は新しい機器が発明されたのかと思った。データベースのSQLは「シークェ」だ。最後の「L」はほとんど発音しないので聞こえない。歌手の Billy Joel は「ビリー・ジョエル」ではなく「ビリー・ジョー」と言わないと通じないのと同じだ。

それ以外にもaは「ア」ではなく「エイ」と発音されることが多い。サンのオペレーティングシステムの Slaris を「ソラリス」ではなく「ソレイリス」と発音するアメリカ人は少なくない。もちろん彼らに「ソラリス」と言っても通じない(なかった)。

ある程度パターンがあるので慣れれば多少は対応できる。特に母音がからむと要注意だ。わからない=通じない場合はすばやく置き換えてみよう。

2007年7月16日月曜日

アメリカンドリームの本当の意味

アメリカには英才教育の制度がある。カリフォルニア州の場合はGATEと呼ばれていて、小学校の低学年の中から優秀な子供が各校数名程度が選抜され、その学区に特別に作られた英才教育のためのクラスに編入する。知能指数が130~150以上の子供の中から選ばれるようだ。
カリフォルニア州では成績が上位数パーセントの高校生は名門カリフォルニア大学への優先入学権が与えられるが、その多くはGATE出身者が占めていると思われる。日本ならさしずめGATEに選ばれるための塾ができそうだが、もちろんアメリカではそんなものはないし、選抜された子供達を羨望の目で見るような子供も親もいない。

アメリカ人の最大の美徳は「他人の才能に嫉妬しない」ことなのだ。そもそもGATE自体が「Gifted And Talent Education」つまり「与えられた才能のため教育」の略だ。この場合与えたのは親ではなく「神」だ。神が与えるものである以上、才能は人間的な感情である嫉妬の対象になり得ないのだ。

「アメリカンドリーム」とはビル・ゲイツのように起業して大金持ちになることではない。たとえ貧しい家庭に生まれても、他人の才能に嫉妬せずに自分に与えられた能力と環境の中で地道に努力さえすれば誰もが豊かな生活-広いバックヤードと暖炉の燃える暖かいリビングルームのある家、固い絆に結ばれた家族と一緒の生活-が築ける。「それがアメリカン・ドリームの本当の意味なんだよ」とアメリカ人の友達に聞いたことがある。彼らはそんなアメリカを信じているのだ。僕達日本人もかみ締めてみたい言葉だ。


アメリカ家庭の典型的なリビングルーム。暖炉は現在では象徴的・装飾的な意味合いが強い。


2007年7月15日日曜日

アメリカでカーナビが普及しない理由

僕は10年以上日本で車を運転したことがない。そのせいでカーナビを一度も使ったことがない。年に1−2回アメリカへ行ってレンタカーを運転するがカーナビが付いている車をほとんど見たことがない。替わりに一般的なのがドライビング・ダイレクションだ。 YahooでもGoogleでもポータルサイトに必ずある機能で、出発地と目的地の住所を入力すると目的地までの詳細な道順や距離、所要時間が表示される。これをプリントアウトして持参してその通り運転すればよい。

日本にないのは不思議だったがよく考えると当然だ。アメリカの道には数メートルの短いものでも必ず名前が付いていて、交差点などの道路標識に必ず道の名前が表記されている。だから「ウォール通りを右に曲がり3マイル進んで、ブロードウェイ通りとの交差点を左に曲がり・・・」というように指示されれば目的地にたどり着く。日本ではこうはいかない。

アメリカでは住所の表記は「ワシントン通り400番地」など道の名前が基準にになっている。大きな道ならよいのだが、短い道だとどこにあるかは地元の人でも知らない。だからアメリカの地図には道の名前のインデックスが付いている。その町の全ての道の名前が網羅されているので必然的に虫眼鏡がないと見えないほど字が小さい。夜などは暗くて道の名前の標識が見えにくいし、地図で探すのも苦労する。

それでアメリカでもカーナビがあれば便利だろうと思うのだが、レンタカー代+1日10ドルくらいするので借りたことがない。アメリカ人もドライビング・ダイレクションならタダなので高価なカーナビを買う気にならないのだろう。電話の市内通話がタダなのでブロードバンドの普及が遅れたのと同じ理屈かもしれない。

ニューヨークはマンハッタンのブロードウェイとウォールストリートの交差点の標識

2007年7月11日水曜日

自ら国際化の芽を摘む日本のITオフショアの現状

先月まで神奈川県内の事業所へ通っていたのだが、7月から都心へ移動になった。所属する部門がまるごと移転してしまったのだ。今まで社内のIT技術者は都内を中心とする数ヶ所データセンターに分散していたのだが、一ヶ所に集約して効率的な運用を目指すことになったのだ。新事業所はデータセンターとは遠く離れた普通のオフィスビルにあり、当然全てリモートで遠隔地のサーバーの運用やシステムの開発することになる。

それどころか、コスト削減のために一部のサーバー運用業務を中国に移管することになった。どうせリモートなら40キロも2000キロも同じという発想だろう。開発の海外移管は以前から進んでいたが、ついに運用までもという事か。担当する中国人技術者もすでに採用されていて、チームミーティングにもテレコン+ウェブミーティグで参加している。アメリカならこのような場合おそらくインドに移管するだろう。日本からの移管先が中国に偏在する理由はインドなどの他国より日本語を話せる人材をずっと確保しやすいことに尽きる。

僕の勤め先は外資系なので英語が話せる人間は普通の会社よりずっと多い。社内には英語の文書が溢れて英語のメールがガンガン行きかっているという会社だ。それでも中国になってしまうのだ。でも彼ら中国人の日本語は日本人の英語に比べてずっと流暢とは言いがたい。はっきり言えばほとんどドッコイドッコイだと思う。

僕の回りにいる日本人の英語のレベルなら、ある程度の期間、体系的にIT業界限定の英語を叩き込めば意思の疎通はかなりできるようになると思う。もちろん最初は多少のトラブルはあるだろうが、それを恐れていてはいつまでも中国に頼る現状から抜け出せない。しかも中国人の技術ではなく、中国人の日本語にだ。日本人は自ら国際化の芽を摘み取っているような気がしてならない。